一日に2リットルの水を飲む

一日に2リットルの水を飲むことにしている。

多いときは、3リットルくらい飲んでいるかもしれない。




別に水が好物だというわけではなく、

体に良いから飲んでいる、というのと、

ダイエット中だから飲んでいる、という二つの理由だ。




体に良いから、という理由のほうから挙げよう。




常識だが、人間の体の65パーセントは水、だ。



自分の体重は74キロだが、そのうち48キロは水だ。

考えてみると、ものすごい量である。




食事をして摂取した栄養分を、体のすみずみまで

運ぶのは水、だ。



水が不足していると、肝心の栄養分が行き渡らない。



サッカー日本代表新監督のオシム氏が、旧ジーコ

ジャパンを評し、「チームに水が足らない」と言った。



この言葉を、一部のメディアは、

草木にやる水のことだと勘違いし、

なるほど選手の育成が足らないということですね、

などと言っていたが、これは明らかな間違いで、

本当は、体内における水の役割を指したもので、

つまり、ボールを運ぶ役割の選手が少ない、

という意味だった。





気温に応じて体内の温度を調節するのも水、だ。



汗をかく、という行為がそれにあたる。

暑くなると体内の水を汗として外に出し、

寒くなると体内の水を排尿して外に出す。



気温が冷えると小便をしたくなるのはそのためだ。





体内の血液の濃さを調整するのも水、だ。



運動をしたりして汗をかくと、血が濃くなる。



"血の気が濃い"という言葉は、テンションが高い、

うるさい、攻撃的、という意味を指すが、

例えばカラオケボックスで騒ぎ出すと、皆、

だんだんと血の気が濃くなる。



あれは、唄うことで多くの呼気を出し、

動くことで汗をかき、大量の水を失うからだ。





ちなみに、体内から、自分の体重の20%に相当

する水分が無くなってしまうと、人間は死んでしまう。

干からびて死ぬ、という状態だ。



数年前、ある日本人の渡航家が、

海上ヨットで遭難して奇跡的に救出されたとき、

"体の水を消費しないように、日陰に隠れて汗をかく

のを避け、呼吸を小さくして呼気を抑えていた。"

と言っていた。

彼は、体の水の大切さを知っていたから生き延びた。





ちなみに、世界には、

"呼吸をせずに生きる生物"という珍しいバクテリア

存在するが、そのバクテリアですら、水分がないと

絶対に生きていけない。



水がなくても生きられる生物、というのは存在しない。




水というのは、生きるために、また健康を保つために、

必要不可欠なものなのだ。






ダイエット中だから、という理由は、シンプルだ。



水をたくさん摂ると、消化が早くなる。



汗をたくさんかくと、代謝が良くなり、脂肪が落ちる。



逆にいえば、水を摂らないダイエットなど存在しない。





若い頃、マンディ満ちるという、長身美人の歌手の

スタッフをしていたのだが、彼女は毎日、大量の水

を飲んでいた。

食事にいっても、飲み物は "氷ぬきの水" だ。



"肌とプロポーションを保つために水は欠かせない"



と言っていた。





ヨン様、には会ったことはないが、

彼は食事のたび、2リットルの水を飲んでいます、と

テレビで言っていた。一日三食として、6リットルである。



"こういう仕事をしていると、太るわけにもいかないし、

いい体を保ちたいから、水が必要なんですよ。"



と、明るい笑顔で語っていた。




取材スタッフが、"水太りにはならないのですか?"

と聞いたところ、困惑した表情で通訳とやりとりし、



"その言葉は韓国にはありません。"

"もしその言葉が本当だとしたら、私はとっくに

この仕事ができなくなっているでしょう。"



と答えていた。




そう、水太りという言葉は、完全な迷信なのだ。





「ダイエットシンゴ」に書いてあったことだが、

水を飲む量を増やし、塩を摂る量を減らす、

というのがダイエット療法の基本なのだそうだ。



体内の塩を減らすには、食事の塩分を控える

だけでなく、ナトリウムカットという体内療法を

受けることで調整できるのだが、非常に難しく

悪くすると健康を損なうこともあるという。



だが、水を増やすというのはとても簡単なことで、

常に身の回りにペットボトルの水を置いて飲み、

食事のときは特にたくさん飲み、ビールやワイン

を飲むときも必ず水と交互に飲む、という程度の

ことを心掛けておけばいいのだ。






水をたくさん飲むことは、間違いなく体に良く、

ダイエットにも良い、ということだ。







かなり余談になってしまうが、昔から



「私はこの国の水が合うのです」



といった言葉の使い方がある。




日本人には日本の水、というわけだろうが、



では、ボルビックの愛飲者はどうなるのか?




日本に居ながら、だんだんとフランス人っぽく

変貌していったりするのだろうか。




コンビニで水を買うたび、ボルビックを眺め

ながらそんなことを考え、やっぱり自分は

日本人でありたい、と、日本の水を買っている。





END