外国人力士が暴れた、と

外国人力士が暴れた、と、今朝の



外国人力士が暴れた、と、今朝のネットニュースを読んで知った。




そのタイトルを見た瞬間、その外国人力士とやらが、

土俵入りのときに、スタン・ハンセンみたく客席に暴れ込んだのか?

などと心配してしまったが、よくよく読んでみると、

取り組み後に相手の日本人力士と揉めて、その後、

テレビカメラマンに対し、八つ当たりで暴力を振るったらしい。




このニュースを見た大多数の日本人が、

「やっぱり外人は怖い!すぐ暴れる!」

などと恐怖心に駆られたことを想像できるが、

これはおそらく、外国人への身勝手な先入観によるものだ。



日本人は往々にして、外国人に対する恐怖心、というものを

持ち合わせていることが多い。



野球の外国人助っ人はよく暴れて退場になるし、

六本木の飲み屋で外国人が暴れる、というのも

見慣れた風景になってしまっている。

確かにそういうイメージを抱かれてしまうことは否めない。



しかし、よく考えてみれば、

野球でいえば清原だってよく暴れるし、

野球監督の退場回数の日本記録を持っている

日本ハム監督・大沢氏も、紛れもなく日本人だ。

六本木でも銀座でも、

ストレスの溜まった日本人サラリーマンのお父さん達は、

日々アタマにハチマキを締めて暴れていることだろう。



暴れるのは、何も外国人に限ったことではない。



今回の外国人力士の例でもそうだ。



第60代横綱双羽黒(北尾)など、

ちゃんこがマズイと言っては暴れ、

付き人がゲームのセーブデータを消したことにキレて暴れ、

最後は部屋のおかみさんを蹴飛ばしたりと、

暴れ放題だったではないか。




外国人だからといって、「暴れる、コワい」などと、

身勝手な恐怖心を抱くのは、ちょっと筋違いである。




逆に、外国に行ってみると、

日本人のほうが怖い存在だと思われてしまうこともある。




自分はまさに、それに遭遇した一人だ。






高校を卒業したのち、一年ほど海外に留学した。



留学先の街は、日本人が多く住んでいなかったこともあり、

クラスの皆から、実に珍しがられた。



まず、最初に自分についたアダ名が、「アキラ」。

3日ほどして理由が解ったのだが、

当時その国では、映画界の巨匠、アキラ・クロサワと、

漫画ドラゴンボールの作者、アキラ・トリヤマの、

この2人の日本人の名はとても有名で、

更に、日本のアニメ映画「AKIRA」が上陸して、

若い者の間で人気を博していたことから、

"日本人男性といえばアキラだろう"

という勝手な解釈がまかり通っていたのだ。



なんてイイ加減な国なんだ、と思わざるを得なかったが、

どうもラテン系の国では、しばしば

本名とは関係ない名前をつけられることがあるようだ。



サッカーの王様"ペレ"は、

あれは本名ではなく"裸足"という意味だし、

日本でもお馴染みになったサッカーの神様"ジーコ"は、

"やせっぽち"という意味だ。

現在の選手では"ロナウジーニョ"、あれは、

"ロナウドの弟分"という意味で、

どれもとっても、彼らの本名とはまったく関係のない、

まさにアダ名なのだ。



日本人男性を"アキラ"と呼んでくれるのはともかくとして、

では日本人女性を何と呼ぶのか?と聞いたところ、

クラスの男達が突然、大笑いしながら、

「カガマリコ!カガマリコ!」と騒ぎ出したのには驚いた。



黒澤明鳥山明はともかく、

なぜ加賀まりこがそんなに有名なのかと怪しんでいたら、

女の子達が、

「そんな汚い言葉を口に出さないでよ!」と騒ぎ出した。



後から聞いたところ、カガマリコ、というのは、

現地の言葉で、"うんこ垂れ"という意味だったのだ。



クラスの男たちが、どうやって加賀まりこの存在を

知ったのかは不明だったが、とにかくそのクラスに

日本人女性がいなくてよかった、と胸を撫で下ろした。



話は戻るが、クラスの一員となって間もなく、

クラスの男子達から、いろんな質問を浴びせられた。




中には他愛のない質問もあったが、

彼らが一様にして眼を丸くしたのは、



「何かスポーツをやるのか?」との問いに、

「柔道をやったことがある」と答えた瞬間だ。



彼らが一斉に、「ジュードー!」「カラテ!」と声を上げたことを、

今でも鮮明に覚えている。



・・・カラテは明らかに何の関係もなかったはずだが、

彼らの中では、ジュードーとカラテは、

なぜか一つのものとして考えられていた。

日本人が、野球とクリケットの区別を重要視しないのと

同じようなことだろう。



そして、このジュードーとカラテを身につけたものは

最強のファイターなのだという、

これまた勝手な解釈がまかり通っていた。




その翌日から、

自分のアダ名が、「ジャッキー」に変わっていた。



これはさすがに、ジャッキー・チェンからとったものだと

すぐに解ったのだが、

そもそもジャッキー・チェンはカンフーの達人であって、

それ以前に、彼は日本人では無い。



だが、彼らにとっては、そんなことはどうでも良かった。

ジャッキー・チェンという最強のアジア人になぞらえて、

「アジア人の強い友人が出来た」

と思えたことが、彼らの喜びであった。




それから1ヶ月ほど経ったある日の夜のことだ。




その日、クラスメイトの5人と、町場のバーで食事をしながら、

その日行われたサッカーの話題で盛り上がっていた。



その頃は、まだ現地の言葉を十分に理解できなかったので、

いつもなら誘いを断っていたのだが、

たまにはクラスメイトとの付き合いも必要だと思って、

その日はたまたま同席していた。

それが運命の悪戯だった。




仲間が、ライバルのサッカーチームのことを非難したところ、

隣のテーブルにいた別のグループが、

今度はこちらのテーブルが応援しているチームのことを

痛烈に非難し始めたのだ。



どちらのテーブルも総立ちになり、大声でお互いを罵り始めた。

と思ったのも束の間、

「てめー、表に出ろ!」といった危険な言葉が飛び交い始めた。




・・・もう想像できてしまうと思うが、

今思い出しても、その後の展開は、まるでB級漫画のようだった。




仲間の一人が、突然、自分を指差し、

「こいつはジャッキー!カンフーとジュードーの達人だ!

そしてこいつは、俺達の仲間で、お前達の仲間ではない!

それでもヤル気か!」

みたいなことを言った。



ジャッキー、というアダ名で呼ばれることにはもう慣れていたが、

まさかここでカンフーとジュードーの達人、などと

紹介されるとはまったく想像もしておらず、

自分を指差す仲間のシャツの袖を引っ張りながら、小声で、

「ムリ、絶対ムリ」と、カタコトの現地語で抵抗したのだが、

時すでに遅し、であった。



相手のヤンキーのような男が、何やら大声を上げながら、

自分の髪の毛を引っ張って席を立たせ、思いっきり殴った。



その勢いでよろめいて、

隣のテーブルに後ろから倒れこみそうになったのだが、

そのテーブルの人達が自分の背中を押してくれたお蔭で、

かろうじて倒れずに済んだ。



その隣のテーブルのおじさんが、何か大きな声を上げて、

自分の肩をバンバンと叩いた。

その言葉の意味は解らなかったが、とにかく自分を

応援してくれている気がした。それで気を持ち直した。




あのとき、何と言ったのだろうか。日本語で大きな声で、

「あんだコラ!調子乗んなよ!」

みたいな言葉を相手に浴びせた。




聞いたことのない日本語の罵声に、間違いなく相手は怯んだ。

そのまま足早に、相手の胸元まで近づいて、

相手の襟をつかみ上げ、顔を数センチの距離まで近づけて、

また日本語で何か言おうとしたが、

それでは通じないのだと思い留まり、ちょっと考えた末に、




「俺はお前を倒せる。だが、殺すことも出来る。店の外に出ろ。」

と、現地の言葉で言った。




なにせカタコトの現地語である。もしカタコトの英語で言うなら、

「アイ・キャン・ノックアウト・ユー。

バット、アイ・キャン・キル・ユー・トゥー。

レッツ・ゴー・トゥ・アウト・オブ・ショップ。」

みたいなものだったろう。




その言葉の内容に恐怖したのか、

あるいは、このカタコトの言葉のあまりの幼稚さに

逆に恐れをなしたのか、とにかく、

相手の眼の色が変わった。



相手は、何かペラペラと早口でしゃべりながら、

眼を泳がせて後ずさりをし、

仲間と一緒に慌てて外に出ていった。





一息ついた瞬間、周囲のテーブルがざわめき出した。

仲間達は跳び上がって喜び、

これまたペラペラと早口でしゃべりながら、

自分を歓呼の嵐で迎えてくれた。



「なぜ相手を一発なぐり返してやらなかった?」と一様に聞かれた。



無論、相手の耳元で、店の外に出ろ、と言ったわけで、

こちらとしては相手を一発なぐり返してやる気で満々だったのだが、

仲間の歓喜の表情に、アドレナリンが沸騰してしまい、



「殴られるのは嫌いだが、人を殴るのはもっと嫌いだ。」



と、これまたB級漫画の主人公のようなことを言ってのけた。

それを聞いた仲間達は、まるで

キリストに出会ったかのような、恍惚とした表情で自分を見つめた。

このアジア人は、なんと拳を交えることなく、

耳元で囁いただけで、相手を退散させてしまったのだ。



「相手の耳元で何と言ったのか?」とも聞かれたのだが、

まさか今更、表に出ろ、殺してやる、と言ったのだ、などと

打ち明ける訳にもいかず、そのまま放ったらかしておいた。




・・・ここで、ようやく本題に戻る。




その出来事は、その場にいた仲間達によって、

学校の多くの生徒達や教師達に広まっていった。



B級漫画であれば、

その日本人は学校中のヒーローになりました、めでたしめでたし、

といったオチになるだろう。

ちなみに、落合信彦の自伝『アメリカよ!あめりかよ!』では、

内容もオチも、見事にそうなっていた。




しかし、残念なことに、自分の場合は、そうはならなかった。




この話が学校中に広まっていくにつれ、

だんだんと事実が歪曲されていき、

「喧嘩を売ってきた相手をボコボコにした日本人」

という話になってしまったのだ。




もし、事実がそのままに伝わっていたなら、

学校のみんなに、日本人の素晴らしさ、もっと言えば

武士道のようなものを伝えることができたのだろう。



だが、事実が異なって伝えられたために、

"日本人はコワい"という、要するに、

ただの恐怖心を植えつけてしまったのだ。




まあ、事実ではなく真実を言うと、この日本人は

実際に「殺してやる」と相手に言ったわけで、

やはり"日本人はコワい"ということになるのだろうが、

この際、そんな真実はどうでも良い。






あれから12年、

もしそのままあの話が広まっていったとしたら、

あの町の人々は間違いなく、日本人に対する

強い恐怖心を抱いてしまっていると思う。



アキラだジャッキーだと、勝手な先入観で人の名前を

つけてしまうような国である。ただ「日本人」というだけで、

勝手な先入観で恐怖心を抱かれることに疑いはない。

なんとも不幸なことではないか。




・・・このようにして、自分は外国において、

外国人の日本人に対する恐怖心、が生まれた現場に、

生で居合わせてしまったのだ。





なんだか実もフタもないオチになってしまったが、

とにかく、何を言いたかったのかというと、



「スモウもジュードーも、素晴らしい国技ですね」。



・・・いや、そうでなくて、

「外国人に対する身勝手な恐怖心を抱くべきではない」

ということなのだ。




END