小学生は本が大好き、という
小学生は本が大好き、というタイトルが、
今日のネットニュースの見出しに躍っていた。
■少子化や活字離れがあっても小学生は本が大好き――■
全国の図書館での児童1人当たりの年間貸出冊数は04年度に18.7冊で過去最高を更新したことが21日、文部科学省の社会教育調査中間報告で分かった。調査は3年ごとに実施し、前回の01年度に比べ1.6冊増えた。国民1人当たり年間貸出冊数(4.5冊)の4倍強という多さだ。(毎日新聞)
この結果には驚きを隠せない。
一年に18冊、ということは、二ヶ月に3冊の割合で
本を読んでいることになる。
小学児童が、である。
しかし、ネットを徘徊していたところ、全く異なるニュースを発見した。
■貸出冊数減少、9万冊割る■
今年6月で満10歳となった宇治田原町立図書館はこのほど、平成17年度の利用状況や活動状況をまとめた図書館年報を発行した。貸出冊数は平成12年度の10万9305冊をピークに減少傾向が続いており、17年度は前年度より7229冊も減り8万6711冊となった。同図書館では「子どもを狙った事件の多発化で子どもたちだけで図書館に行かせないようになったことや、学校図書室の充実が図られていることなどが貸出冊数の減少に影響しているのでは」と分析している。(洛南タイムス)
前者後者のニュースを比べるに、
その情報元の場所と広さが明らかに異なっているので、
どうも事態の真意を測りかねるところだ。
とはいえ、間違いない事実がひとつある。
自分は小学生の頃、本をほとんど読まなかった、ということだ。
自分の世代の"ごく普通の小学生の男の子"にとって、
教室はみんなで騒ぐ場所で、校庭はドッジボールをする場所で、
理科室は人体標本が立っている怖い場所で、
音楽室はバッハの肖像画の変なヘアスタイルを笑う場所で、
図書室は、漫画「はだしのゲン」を読む場所、
と相場が決まっている。本を読む場所など何処にもない。
学校の図書室でもそうなので、図書館などに興味はなかったし、
そもそもあんな静かな場所にいると発狂してしまう、と思っていた。
そんな自分だったが、あれは高校2年の頃、
それまで読書人生を一変させる本に出会うことになった。
『友よ、また逢おう』という本だ。
この2人の手紙のやりとりを綴ったものである。
この両人は、その当時(といっても今でもそうだが)、
日本という枠から飛び出し、世界を舞台に活躍している人物だ。
彼らのやりとりは日記風にまとめられていて、
音楽や文学といったジャンルに留まらず、
政治やイデオロギー、スポーツや映画といったことををテーマに、
お互いの視点でキャッチボールしている。
この本に、当時の自分は勉強やゲームをそっちのけで夢中になり、
彼らの言葉の中に登場するあらゆるものを漁った。
セネガルが生んだ最高のミュージシャン、ユッスー・ンドゥールや、
キューバが生んだ世界的バンド、ロス・バンバンの音楽に触れた。
巨才ジャン=リュック・ゴダールや、ベルナルド・ベルトルッチの
映画作品のファンになってしまったのも、この本の影響によるものだ。
この本をきっかけに、少しずつ他の本を読むようになってきた。
とはいえ、いってみれば、"選書指南役が村上龍"、である。
やれ、村上春樹だ、吉本ばななだ、といった方向には全く向かず、
最初に手にとったのは『ルー・リード詩集』だったし、その次は、
『キング牧師-人種と平等と人間愛を求めて』だったし、さらに、
『ジャンキー』を熱読するあまり、ブックカバーが擦り切れた。
・・・今考えると、間違いなくアブない方向に行っていたのだが、
それからずっと辿っていくと、結果、芥川に落ち着いた。
音楽CDのライナーノーツを読んで潜っていくタイプの人には
おそらく解ることだと思うが、どのようなジャンルの音楽から
スタートしても、最後には必ずといっていいほど、ブルースか
クラシックに落ち着いてしまうものだ。これに似ている。
現在では、さすがにもう危険な本を手に取ることもなく、
過ごしたりしている。
歴史ノンフィクションでは、白洲次郎本は全て読んだ。
故・白洲次郎は、自分のヒーロー列伝の中でも、
高杉晋作に次いで第二位にランクされる人物だ。
「友よ、また逢おう」のように、人物の趣味・主義・主張などを
述べた本では、小澤征爾さんの対談関連の本は読み応えがあるし、
ちょっと古いが、数学者・岡潔先生の、
「日本という国の水の入れ替え方」も、面白かった。
しかし、やはり「友よ、また逢おう」のように、
自分の趣味や性格を方向づけるようなパワーを持った本に
出会う機会は、あれから一度も無いのだ。
仕方ないので、先日、
もうボロボロになってしまった「友よ、また逢おう」を捨てて、
また新しく「友よ、また逢おう」を購入した。
・・・こんなことをしていると、高校生以来の自分に
まったく進歩がないようで、いささか悲しくなってしまうが、
あらためて印税を収めさせていただいたのだ、と考えれば、
少しは悲しみも晴れようというものだ。
END