これまで幾人かの”社長”に

これまで幾人かの"社長"に出会ってきたのだが、

振り返ってみると、この社長達と交わした幾つかの言葉が、

印象強く脳裏に残っており、今でもよく思い出すことがある。




初就職した会社の社長。

彼は矢沢永吉やハウンドドッグを世に送り出した人で、

業界ではちょっとした有名人だった。

平社員だった自分が、なぜかその社長に気に入られてしまった。

その頃、自分は企画書を書くのが楽しくて、

膨大な数の企画書を書いては本社に送りつけていたのだが、

そのうちの数点が社長の目に留まったらしい。

食事の席や酒の席、出張の移動の間など、

その社長といろんな企画について語りあった。

彼が語った言葉の中で、一番印象的だったものがある。



「世の中には、下絵に色をつけることができる人間はゴマンといる。

が、下絵を描ける人間はごく少ない。

下絵の勉強をしろ。そうすれば、君は大きな人間になれる。」



彼からのこの言葉で、

その後の自分の企画マン人生の道筋が形成されたといっていい。




その後、いくつかの転職を経て地元に戻り、

音楽を通じ、ある社長と巡り合った。

歳はかなり離れていたが、年齢を感じさせないパワーがあり、

ひょんなことで誘われて、彼の会社に入社した。

社長天皇、というほどではないが、彼は、

200名を超える社員から、雲の上の存在のように思われていた。

が、自分と彼は、プライベートの付き合いから始まったこともあり、

特に二人きりになったときは、遠慮のない言葉をぶつけ合い、

しばしば喧嘩になったことがある。

あるとき、大がかりな企画の実行の可否について意見を違え、

口論になった折に、彼の言った言葉がある。

「お前は、もし会社が倒産しても、収入を失うだけ。

でも俺は、すべてを失う。

この会社は、俺のこれまでの人生を担保にしてやってきた。

お前は、これからの自分の人生を担保に入れて、

この会社を支えていく覚悟があるか?

もしも、その覚悟があるのなら、対等の立場でやってやる。」



痛烈な内容に、返す言葉が出なかった。

"人生を賭ける"という言葉は、その響きの美しさで多用されるが、

"人生を担保に入れる"というのは、なんとも生々しく、

苦み切った言葉に感じられ、少なからず畏怖心を駆り立てられた。




その後、数年来の付き合いのある先輩の会社へお邪魔し、

彼の父である社長と話す機会があった。

こちらの会社は、その業界の地元最大手で、

前述した会社よりも規模が大きく、創業も古い。

しかし、この社長さんは、社員にとって雲の上の存在、どころか、

毎朝どの社員よりも先に出社し、窓のカーテンを開けて回り、

喫煙所で若い社員と肩を並べて煙草を吸い、

豪華な社長室は居心地が悪いと、営業部の一角に机を置いて、

のんびりと新聞を開いてる、一風変わった老紳士だ。

なぜ、そのように過ごしているのかということを、聞いたところ、

まるで子供のような笑顔をして、こう答えて頂いた。



「僕は、社員の笑顔を見るのが好きなんですよ。

会社がちゃんと運営されているのかを見るのに、

もっとも簡単で、もっとも間違いのない方法は、

決算書を開くことじゃなくて、ひとりひとりの社員の顔を見ること。

社員が幸せな顔をしていれば、会社がちゃんと利益を上げて、

社員やそのご家族に、しっかり還元できているってことでしょう。

だから、僕はいつも会社の中をウロウロしてるんですよ。」



この言葉には、深い感銘を覚えた。

この会社の人達は、皆互いに仲良く、

互いの人格を尊重して仕事をしている雰囲気に満ちている。

経営者の志の持ち様で、その会社の体質というものが

決まるのかもしれない、と思えた。




現在、自分も社長という仕事をやっている。

が、これまで出会ってきた社長達のことを振り返ってみると、

なんとも魅力のない社長をやっているものだ。



下絵、を描くのが自分以上に上手な仲間に恵まれているし、

対外的な地位も名誉も、銀行借金も無いので、

人生を担保にすることもない。

会社の中をウロウロせずとも、いつも仲間たちとゲームをして

仲良く遊んでいたりする。

この状態が、精神的にも、性格的にも、一番ベストだと思っている。



こうやって書くと、

まるで何もしていない社長のように思われてしまいそうだが、

そんなことはない。

どこの社長もそうだと思うが、社長の役割のうちで最も大事な、

「決断する」という仕事は、かなり高い意識をもってやっている。



決断するだけなのか、と思われそうだが、そうでもない。

雑用もやっているし、みんなと食事に行って盛上げ役をやったりと、

それなりに忙しい。



決断して、雑用をやって、飯を食ってるだけか、と思われそう・・・

いや、そんなよがった見方しか出来ない人を相手にするのは、

まさに時間の無駄というものなので、やめておこう。




そういえば、社長という仕事を実際に始めてみて、

ひとつ分かったことがある。



それは、「勘が鋭くないとやっていけない」ということだ。



勘、なんてものは、サラリーマン時代には、

自分の中であまり育てていなかった。



何か企画を立てて、プレゼンテーションをするといった場面で、

「その企画が成功すると言い切れる根拠は何か?」と聞かれると、

その根拠となり得るデータを提示して説明するのが常識である。



まさかその場で、

「成功する気がします。これは私の勘です。」などと

言ってのける者は稀有であろう。



しかし、社長をやってみて分かったのだが、

この"勘"というものは、非常に大切なのだ。

はっきり言ってしまえば、データよりも大切だ。



いや、いま少し正確を規するなら、

データというものに捉われて頭が狭くなっている状態より、

頭を広くして"勘"を働かせている状態のほうが、

よりはっきりと物事が見えることがある、ということだ。



この話を、知り合いの社長数人に話してみたところ、

「君も社長らしくなってきたな」と、ニヤニヤされながら誉められた。

どうも、思っていた以上に、社長というのは奥の深い職業のようだ。




先日、知り合いのシェフに、

釣りをはじめるから一緒にやりませんか?と誘われた。

しかも都合のいいことに、

今日はどこで何が釣れそうだ、といったニュースに頼らず、

釣竿一本を背負ってフラッと出かけよう、といったノリなのだ。



まさに"勘"に頼るところになりそうだが、

日頃あまり勘を磨く機会がないので、むしろ望むところだ。

釣り場に行って、勘を頼りに竿をたらし、

ドドンと大魚を釣り上げてしまう自分の姿を想像してしまうと、

なんとも面白く、その日の来るのが待ち遠しくて仕方ない。




・・・釣り場に、知り合いの社長達が並んで座っていたりしたら、

もっと面白いのだが。




END